半蔵門は伊賀忍者の服部半蔵の屋敷が近くにあったことから、この名が付いています。落城時(緊急時)の家康の脱出口だったと考えられています。このため半蔵門は木製の橋ではなく土橋です。江戸時代の甲州街道の起点は日本橋ではなく、この半蔵門でした。
半蔵は本能寺の変で、明智光秀軍に追われる家康を伊賀から三河に導き、無事に江戸へ帰還させた功績で、家康が江戸城に入城してからここに屋敷を与えました。ここは江戸城の裏手になり一番手薄なところでもあったので防備をかねて住ませたと言われてます。
半蔵門は軍用道である甲州街道の起点であったため、周辺には譜代大名の屋敷が多くありました。
避難先は甲府城です。甲州街道を伊賀忍者の護衛の元、将軍は甲府を目指します。 江戸時代、甲府城は1705年(宝永2年) 柳沢吉保が城主となるまでは徳川家が城主でした。1724年(享保9年) 柳沢吉里(吉保嫡男)が大和郡山へ転封され、甲斐一国が幕府領となりました。甲府勤番が設置されました。
2枚目の写真は半蔵門付近から桜田堀、桜田門方面を見たところです。腰巻土居と鉢巻土居が組み合わされています。
半蔵門から甲府城へ向かう甲州街道の途中の西念寺(〒160-0011 東京都新宿区若葉2丁目9−11)に服部半蔵の墓があります。
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