場所は東京駅の丸の内側の中央改札口を出てまっすぐ西に進むと皇居に突き当ります。そして最初に目につくのが正面に坂下門、右手に巽櫓と桔梗門です。
現在、宮内庁の通用門として使用されています。この門の右手に宮内庁の庁舎が見えます。
この門は西の丸の造営後、新たに造られたと伝えられています。 文久2年(1862)1月,老中安藤対馬守がこの門外で水戸浪士の襲撃を受けました。これが教科書に記されている「坂下門外の変」になります。 安藤対馬守は磐城平藩5万石の領主,寺社奉行,若年寄を経て万治元年老中となりました。 井伊大老没後,老中首座久世広周と組み、一ツ橋派諸侯の謹慎をとき、朝廷と幕府の間の調整融和のため公武合体政策を行い、 将軍家茂に皇妹和宮の降嫁を強行し実現させました。
このため尊皇攘夷派の憤激を買い、水戸浪士平山平介ら6人に襲撃を受け負傷し失脚しました。
皇居の東側正面にあって、宮内庁、宮殿に近い門です。江戸時代は西の丸裏手門や紅葉山への通用門でした。現在、皇居の通用門として使用されており、見学を目的とする一般の人はここからは入れません。構造はかって枡形でしたが、明治21年、高麗門を撤去したため、現在、渡櫓門だけが残されています。
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