心法寺は、浄土宗のお寺です。三河国の秦宝寺から天正18年(1590)に徳川家康といっしょに江戸に来た然翁聖山和尚が創始者です。
三河に帰ろうとした和尚を家康が引きとめ、代わりに市ヶ谷に広い寺地を与えましたが、和尚はこれを断り、慶長2年(1597)に今の場所にお堂をたてました。「衣食が十分だと僧侶が怠け者になり、仏に仕えることがいやになる」ということと「江戸に移住した町人たちのために大衆的なお寺にしたい」というのがその理由でした。この希望はかなえられえ、大名や旗本が檀家になることを断り、町人たちのためのお寺として発展していきました。しかし、幕末には、武家の檀家もしだいに増えていきました。
天保9年(1838)心法寺から出火し、寺と麹町の広い部分が焼けました。隣の尾張藩中屋敷からの檀家が多かった関係で天保11年(1840)に中屋敷内御殿が払い下げられ、弘化4年(1847)に復興しました。江戸時代には「心法寺のえん魔さま」は有名だったそうです。しかし、この建物も東京大空襲で焼けてしまいました。
千代田区の寺院で境内に墓地を有するのはこのお寺だけです。
境内
梵鐘は延宝4年(1676)に鋳造されたものです。
水盤は万延2年(1861)に寄進されたものです。
駒形庚申塔は宝暦2年(1752)9月に造立されたものです。庚申塔は、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿、そしてショケラが陽刻されています。
千代田区には、この庚申塔と秋葉原の柳森神社の庚申塔しか現存していません。
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