筑土神社(つくどじんじゃ)は、天慶3年(940)平将門の霊を武蔵国豊島郡上平川に祀り津久土明神と称したことにはじまり、その後飯田町に近い田安に遷座して田安明神と称しました。
元和2年(1616)には牛込門外の筑土山(現新宿区筑土八幡町2番地)に遷座して筑土明神となり、途中明治7年に筑土神社と改称しましたが、以来昭和初期まで牛込に鎮座し続けました。しかし昭和20年空襲で社殿などを悉く焼失し、29年には九段中坂の世継稲荷神社境内に遷座しました。築土神社は、天照大神の孫の天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)平将門、菅原道真を配祀しています。
江戸時代の文献によると、当社内には平将門の首(頭蓋骨や髪の毛)そのものが安置されていたといわれ、数ある将門ゆかりの社寺の中で、将門信仰の象徴的神社となっていました。
明治に教部省の指示により将門は相殿に格下げされ、現在は天津彦火邇々杵尊が当社の主祭神となりました。
戦災で当社が焼失するまで、将門の首を納めたという首桶、将門の肖像画(束帯姿)、木造の束帯坐像等が社宝として伝わっていました。昭和20年4月、戦災により社殿とともにそれらは焼失し、現在は一部の写真が残るのみです。
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