鉄砲洲は、徳川家康入府の頃には、既に鉄砲の形をした南北凡そ八丁の細長い川口の島でした。現在の湊町や東部明石町の部分が之に相当します。寛永の頃は此処で大砲の射撃演習をしていたので、此の名が生まれたとも伝えられています。 昔の海岸線は現在のものより遥かに奥まったものであって、八町堀の掘られたのが慶長17年で、京橋あたりの土地生成が、天文の頃足利義輝の治世の頃と伝えられています。 鉄砲洲稲荷神社の創建年代は不明です。当時の東京湾の最も奥に神社が位置していた為、船乗人から崇敬されたと伝えられています。その後埋立が進行して現在の京橋のあたりへ御遷座となり、更に室町時代末期の大永年中に氏子崇敬者達の願望によって又新しい海岸へ遷座し八町堀稲荷神社と称しました。 寛永元年には南八町堀と地続きとなった鉄砲洲に生成大神を遷座し、従来から鉄砲洲御鎮座の八幡神社を摂社とし、以って今日の鉄砲洲稲荷神社となりました。 江戸で消費する米・塩・薪炭を始め、大抵の物資は鉄砲洲の港へ入ってきました。このため当社は、江戸の船の関係者の崇敬を受けました。
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〒104-0043 東京都中央区湊1丁目6−7