浅野あさの 長矩ながのり(あさの ながのり)、(1667~1701)は、播磨はりま赤穂あこう藩はんの第だい3代だい藩主はんしゅです。官名かんめいから浅野あさの 内匠たくみ頭あたま(あさの たくみのかみ)と称しょうされます。 1701年ねん、江戸えど城じょう本丸ほんまる大だい廊下ろうか(通称つうしょう松まつの廊下ろうか)にて、吉良きら義央よしひさが留守居るすい番ばん・梶川かじかわ頼照よりてると儀式ぎしきの打ち合わせうちあわせをしていたところへ長矩ながのりが背後はいごから近ちかづき、吉良きら義央よしひさに切きりつけた。 その後ご、陸奥みちのく一関いちのせき藩主はんしゅ・田村たむら建顕たつあきの芝しば愛宕下あたごした(現げん東京とうきょう都と港みなと区く新橋しんばし4丁目ちょうめ)にあった屋敷やしきにお預あずけが決きまりました。 夕刻ゆうこく、田村たむら邸ていにて長矩ながのりは切腹せっぷくと改易かいえきが宣告せんこくされました。
MAP 〒105-0004 東京とうきょう都と港みなと区く新橋しんばし4丁目ちょうめ31