石川後楽園と共に、今に残る江戸初期の大名庭園です。典型的な回遊式泉水庭園で池を中心にした地割りと石割は秀逸です。 ここはもともと海面でしたが明暦(1655~1658年)の頃に埋め立てられ、延宝6年(1678年)に老中・大久保忠朝の邸地となりました。忠朝は上屋敷を建てるに際し、藩地の小田原から庭師を呼び寄せ、庭園を造らせ「楽寿園」と命名しました。 「楽寿園」は典型的な回遊式庭園で。園景の中心には江戸の水辺庭園特有の汐入式の池があり,干満によって景色が変化するよう工夫されていました。蓬莱山を表す中島や蘇公堤を模した堤など,内には中国抗州の西湖の趣をとりいれながら築山の上からは満帆往来の碧海を見る外界の展望にも意を注ぐつくりでした。 その後、幾人かの所有者を経たのち、幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となりました。 明治4年には有栖川宮家のものになりましたが、同8年に宮内省がこれを買いあげ、翌9年に芝離宮となりました。 明治24年には迎賓館としての役割を果たすため園内に洋館を新築し,以来多くの外国の貴賓を迎えました。 大正12年の関東大震災によって、建物と樹木のほとんどが焼失しましたが、翌13年1月、東京市に下賜され、庭園の復旧、整備を施して同4月に一般に公開されました。なお、昭和54年6月に国の名勝に指定されました。 泉水 この庭園の要です。昔は海水を引き入れた潮入りの池でした。現在は海側が埋め立てられ、海水を取り入れることができなくなり、淡水の池になっています。池は中島と浮島を配し、海と湖を形どっており、一画には小さな洲浜(すはまが設けられています。 西湖の堤 中国の杭州(現在の浙江省)にある西湖の堤を模した石造りの堤。この堤の先にあるのが中島です。中国で仙人が住み不老不死の地といわれる、「蓬莱山(ほうらいさん)」の名がつけられています。この島の石組は、楽寿園の頃からのものです。開園年月日:大正13年4月20日開園面積: 43,175.36平方メートル開園時間:午前9時~午後5時(入園は午後4時30分まで)休園日 年末・年始(12月29日~翌年1月3日まで)入園料 一般及び中学生 150円
MAP
〒105-0022 東京都港区海岸1丁目4−1