泉岳寺(せんがくじ)は、曹洞宗の寺院です。慶長17年(1612)門庵宗関和尚(今川義元の孫)を拝請して徳川家康が外桜田の地に創立した寺です。寛永の大火によって焼失したものの、四世門解蘆関和尚の時、毛利、浅野、朽木、水野、水谷の五大名の尽力によって現在の高輪の地に移転しました。以後泉岳寺は境域2万185坪を有し、七堂伽藍を完備して、諸国の僧侶百余名が参学する学寮として存在しました。 山門は天保年間、34世大道貞釣和尚代の再建です。楼上には、極彩色の十六羅漢像が安置され、階下天井には、関義則作の銅彫大幡竜が篏め込まれています。 忠臣蔵1701年(元禄14年)3月14日に主君の赤穂藩主浅野長矩(内匠頭)が江戸城内において高家吉良義央(上野介)に遺恨ありとして殿中刃傷に及びました。吉良上野介は無事でしたが、浅野内匠頭は即日切腹となりました。1702年(元禄15年)播磨赤穂藩の筆頭家老の大石内蔵助は、47人の赤穂浪士を率いて吉良邸へ討ち入り、吉良義央の首級をあげて泉岳寺の長矩の墓前に供えました。翌1703年(元禄16年)2月4日に切腹となりました。遺骸は高輪泉岳寺の長矩の墓のそばに葬られました。
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