浄輪寺は日蓮宗のお寺です。浄輪寺は慶長17年(1612年)、平河町付近で毘沙門天を携えた近江国(現在の滋賀県)佐々木氏の末裔により創建されました。その後、牛込門外への移転を経て、寛永12年(1635年)に現在地に移転しました。 関孝和は士族の内山永明の2番目の子として、上州藤岡(今の群馬県)で生れたとも,江戸小石川(今の東京都文京区)で生まれたともいわれています。また,生まれた年も、寛永の1640年頃とはっきりしていません。 関孝和は、内山家から関家の養子となり、やがて、幕府勘定方吟味役になりました。関孝和は中国の書物から学んだ天元術(代数学)に創意改良を加えて算木を用いて計算する独自の代数学を創始しました。 その研究の1つである多元連立方程式の解法をまとめた書物に「発微算法」(1674年)があります。この本は関孝和の最初の刊行物であるとともに、生存中の出版物はこれだけだったといわれています。この唯一の書物が、日本固有の数学である和算の誕生を記すに値する秀れたものでした。 関孝和の研究は沢山あります。 円周率を正131072(2の17乗)角形を使って、円周率を小数以下11けたまで求めています。3.14159265359です。発微算法を編み出し、同時代のイギリスのニュートン、ドイツのライプニッツとともに、それぞれ独立して微分・積分を発見しています。またヨーロッパでライプニッツが行列式の概念に到達する以前に独自に同じ概念を研究していました。またヤコブ・ベルヌーイに先駆けてベルヌーイ数を発見していたことも知られています。 幾多の業績を残し、和算の始祖と尊敬された関孝和は、寛永5年(1708)に病のため亡くなり、東京都新宿区の浄輪寺に葬られています。
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〒162-0851 東京都新宿区弁天町95