古くから東大久保村の鎮守社であり、正式には大久保天満宮といいます。現在でも広い境内を持ち、椎の木などが森をなしています。 江戸名所図会には「大窪天神」として紹介されています。菅原道真を祀った京都の北野天満宮を勧請し鎌倉時代の安貞3年(1229)の建立といわれます。 西向天神社という名は、地形上、社殿が西方(京都)を向いていたからつけられたものです。他に棗(なつめ天神という俗称もあります。これは、寛永年間(1630年代)に、三大将軍家光が鷹狩りに来た際に、荒廃していた当社を見て、社殿等の修復のために金の棗の茶入れを下賜して再興を促した、という伝承によるものです。また、慶安から天和年間には、桜の名所であったことも書物に残されています。 境内には大きな天保13年(1842)の造立の東大久保富士と呼ばれる富士塚があります。
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