西念寺服部半蔵正成が文禄3年(1594)に松平信康公(徳川家康公嫡男)の供養の為に建立した寺です。半蔵は晩年、信康公の御霊を弔うために出家し、名を「西念」と号しました。そして麹町清水谷(今のホテルニューオータニ近く清水谷公園付近)に庵を設け、信康公の遺髪をここに埋めて、専称念仏の日々を送りました。文禄2年(1593)半蔵は、家康公より金300両を賜り、信康公の御霊と戦で亡くなった人々の供養のために、一宇を建立するよう内命を受けたと記録されています。半蔵は寺院建立を果たせず、文禄4年(1595)11月14日、55歳で他界しました。その後、同所に一宇の建立がなり、山号・院号・寺号は、半蔵の法名からとり「専称山安養院西念寺」となりました。服部半蔵正成(1542-1596)は忍者ハットリくんとして漫画やアニメに登場しています。半蔵は徳川家康の家臣で「徳川十六将」の一人です。本名は石見守正成で、通称は「大半蔵」。本能寺の変の際、家康の「伊賀越え」を一族を挙げて護衛、無事国元に帰還させた功労者。配下に多数の忍び衆を抱えて諜報活動で活躍しました、半蔵自身の実像は忍者というより槍術に優れた家康麾下の有能な戦闘指揮官でした。半蔵は家康公より槍を拝領しました。この槍は現在、寺宝として伝わり、新宿区指定文化財に登録されています。甲州街道の起点となった半蔵門の名称は、この門の警固を担当した徳川家の家来服部正成・正就父子の通称「半蔵」に由来すると伝えられています。服部家の部下(与力30騎、伊賀同心200名)がこの門外に組屋敷を構え、四谷へと通じる甲州街道(現在の国道20号(起点は日本橋)、通称麹町大通り・新宿通り)沿い一帯が旗本屋敷で固められていました。これは、非常時に将軍を甲州街道から幕府の天領である甲府へと安全に避難させるためと言われます。このため半蔵門は江戸城で耐火を考慮された土の橋です。
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