全勝寺(ぜんしょうじ)は、曹洞宗の寺院です。 1578年(天正6年)、栄巌清繋によって開山されました。元々は「龍源寺」という名称で麹町にありましたが、1616年(元和2年)に牛込、1619年(元和5年)に現在地に移転しました。山県大弐は、江戸時代の経世家、儒学者です。享保10年(1725年)に甲斐国(山梨県)竜王出身です。27歳で江戸に出て四谷坂町に住み、同町の岩槻藩主大岡忠光の医臣となります。その後、八丁堀に私塾を開き、儒学・軍学などを講じました。竹内式部の宝暦事件に際し著した『柳子新論』は、朱子学的大義名分論により尊王を説き、幕府政治を批判したものです。 この本は高校の歴史教科書に記載されています。 尊王思想として幕府に訴えられ、明和3年(1766)に捕らえられて翌年43歳で処刑されました。これを明和事件といいます。