高林寺(こうりんじ)は、曹洞宗の寺院です。1596年(慶長元年)、桂岩によって神田で開山されました。1604年(慶長9年)に御茶ノ水に移転しました。境内に湧き出ていた湧水の水を徳川将軍家に献上したことからお茶の水の高林寺と呼ばれました。1657年(明暦3年)に起きた明暦の大火の後に現在地に移転しました。緒方 洪庵(おがた こうあん:文化7年(1810年) - 文久3年(1863年))江戸時代末期の蘭学医、蘭学者です。 岡山県岡山市足守に生まれました。1825年大坂蔵屋敷留守居役となった父と共に大坂に出て中天満の私塾「思々斎塾」にて4年間、蘭学を学び 、江戸へ出て坪井信道に学び、さらに宇田川玄真にも学びました。 1836年長崎へ遊学しオランダ人医師ニーマンのもとで医学を学びます。この頃から緒方洪庵と名乗ったようです。 1838年大坂に帰り、大阪市中央区瓦町で開業しました。同時に蘭学塾「適々斎塾(適塾)」を開きます。1845年に大阪市中央区北浜の商家を購入し適塾を移転します。 1849年大阪市中央区道修町に「除痘館」を開き、牛痘種痘法により種痘を始めます。 1862年幕府の度重なる要請により奥医師兼西洋医学所頭取として、江戸に出仕します。 1863年江戸の医学所頭取役宅で突然喀血し窒息により死去。享年54。 適塾からは、福澤諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲など、幕末から明治維新にかけて活躍した多くの人材を輩出しています。また、日本最初の病理学書『病学通論』を著しました。種痘を広め天然痘の予防に尽力しています。また安政5年(1858年)のコレラ流行に際しては『虎狼痢治準』と題した治療手引き書を出版し医師に配布するなどをしています。
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