浅草寺向かって左手にある伝法院は浅草寺の1つでしたが、住職の居住する本坊の称号に用いられています。 建物のうち、客殿.玄関.使者の間.大台所の一部は、安永6年(1777年)の建物です。大名屋敷を思わせる立派な門構えで、玄関上の瓦には菊の御紋が入っています。上野の宮さまが浅草御殿とされて、約3年間宿坊とされたので、一般には使用禁止の紋章が使われています。建物の背後には、大泉池を中心とする廻遊式庭園があり江戸時代初期の築造で、庭造りの名人といわれた小堀遠州作と言われてます。 平成23年(2011)に伝法院の庭園が国の名勝に、平成27年(2015)には「客殿、玄関、大書院、小書院、新書院、台所」の6棟が国の重要文化財に指定されました。一般公開はしていません。不定期で特別公開されることがあります。 鎮護堂浅草の奥山にも狸が棲んでいたが、官軍と彰義隊が戦った上野戦争や奥山の開拓などで逃げ出して、明治の初めには浅草寺の伝法院あたりに棲みつくようになった。一説には狸らは、草履を釜に投げ入れたり、座敷に砂をまいたりなどのいたずらをしたという。 浅草寺も狸らの乱行に困っていたが、時の住職、唯我韶舜大僧正の夢枕に狸が現れ、「われわれのために祠を建てて保護してくれれば、伝法院を火災から守り、永く繁栄させましょう」というお告げがあった。そこで、明治16年(1883)に鎮護大使者として祀ったのがこの鎮護堂である。その霊験あってか、伝法院、鎮護堂ともに関東大震災や東京大空襲での焼失を免れている。 火除け祈願のほか、この祠に祈ったところ失せものが見つかったという霊験から、盗難除けの祈願をするご信徒も多い。また、狸を「他を抜く」という語呂としてとらえて、特に落語家や歌舞伎役者など、芸能関係者の信仰が篤いことで知られている。
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