幡随院長兵衛(1622年~1650年もしくは1657年)は、江戸は江戸初期の町奴です。本名は塚本伊太郎。肥前唐津の士族で、幡随院の住職向導に私淑し、浅草花川戸に住み、奉公人を周旋する口入れ業に従事していたといわれます。 当時、町奴と呼ばれる任侠の徒が横行し、また、大小神祇組という旗本奴も市街を乱していました。やがて、長兵衛は町奴の頭となり、旗本奴の頭領水野十郎左衛門(五千石)と張り合ったといわれてます。慶安三年(1650)四月、水野十郎左衛門のだまし討ちにあって殺害されました。享年36。 この人の経歴は多くの伝説と後世の脚色により真実は不明です。 墓石は地蔵で、長兵衛夫人との対になっています。 歌舞伎などを鑑賞される方には『お若ぇの、お待ちなせぇやし』の名台詞でご存知の方も多いことでしょう。長兵衛:平幹二朗 おきん:大原麗子の時代劇TVドラマ(1974年4月5日~10月4日)もあります。
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