伊能忠敬の恩師高橋至時の墓のある源空寺は浄土宗のお寺です。浄土宗の僧・道阿(円誉道阿霊門)は天正18年(1590年)湯島(現・東京都文京区)に草庵を結び、これに帰依した徳川家康が慶長9年(1604年)に寺領、堂宇と源空寺の号を与えたのが創建とされます。 高橋 至時(たかはし よしとき:1764年~1804年)は、江戸時代後期の天文学者です。天文方に任命され、寛政暦への改暦作業において、間重富とともに中心的な役割を果たしました。また、息子に天文学者で伊能忠敬の没後「大日本沿海輿地全図」を完成させた高橋景保、天保改暦を主導した渋川景佑がいます。 忠敬は苦しい時、常に忠敬を思いやった至時を心から尊敬しました。忠敬より年下の高橋至時は忠敬より早く没しました。 そして忠敬は「私が大事を成し遂げることの出来たのは、全く至時先生のおかげである。どうか先生のそばに葬ってもらいたい。」と遺言を残し至時の傍らに葬られました。 伊能忠敬と並んで日本地図の完成を影ながら支えた高橋至時の偉業も忘れてはいけない気がします。お墓は伊能忠敬の隣にあります。
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