正式名を巨獄山曹源寺と言います。通称名で有名なお寺です。このお寺は1588年(天正16年)5月現在の和田倉門付近に開創され、1591年(天正19年)11月江戸城拡張により湯島天神下に移転、1657年(明暦3年)1月いわゆる「振袖火事」により大半が焼失し、現在地に移転しました。 このお寺がかっぱ寺と呼ばれるようになったのは1819年(文化11年)に雨合羽商の喜八がこの寺に葬られたことによります。 江戸時代の文化年間(1804~17)にこの辺りに雨合羽商を営む通称合羽川太郎、本名合羽屋喜八という人が住んでいました。この付近は千束池跡で土地も低く水はけがとても悪く、雨が降るとたちまち出水し住民は苦労をしていました。そこで川太郎は資財を投じ排水のための掘割工事に取りかかったところ、かつて川太郎に命を助けられた河童が工事を手伝い完成させたのだそうです。この河童を見た人は勝運が開けたとされ、河童大明神として祭ったといいます。表面に「てっぺんに手向けの水や川太郎」の句を刻む墓碑は川太郎の墓とされています。 合羽橋は現在の通称「合羽橋道具街」を流れていた新堀川にかけられていた橋の一つであり、雨合羽屋喜八の徳を偲んで名付けられたと考えられています。新堀川は昭和の初に暗渠となりました 雨合羽の製造屋の合羽屋喜八、通称合羽太郎の雨合羽は人気がり繁盛していました。曹源寺の前には池があって、池にはカッパが住んでいました。ある日、川太郎が池の淵を通ると、近所の子供たちがカッパの子供を捕まえていじめているので子供に穴銭をやって逃がしてやりました。この河童が川太郎の工事の手助けをしたと言われてます。 写真の様にお堂の天井には手塚治虫氏など有名漫画家のかっぱの絵が描かれています。
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