元来がんらい湿地しっち帯たいであった当地とうちに新しん吉原よしわらが造成ぞうせいされるにあたって、沼沢しょうたくを南部なんぶに寄よせ池いけを形成けいせいしました。湖畔こはんに弁天べんてん祠ほこらが祀まつられ信仰しんこうを集あつめ弁天池べんてんいけ(または花園はなぞの池いけ)などと呼よばれていました。 大正たいしょう12年ねん(1923)関東かんとう大だい震災しんさいに伴ともなう火災かさいで逃にげ遅おくれた遊女ゆうじょらが、弁天池べんてんいけに飛とび込こみ490名めいの犠牲ぎせい者しゃを出だすという悲劇ひげきに見舞みまわれました。戦後せんご、電電でんでん公社こうしゃ電話でんわ局きょく建築けんちくにあたりそのほとんどは埋うめ立たてられましたが、現在げんざいも関東かんとう大だい震災しんさいの犠牲ぎせい者しゃを悼いたむ観音かんのん像ぞうが残のこっています。
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