長谷川平蔵(1745年-1795年)平蔵は長谷川氏の当主が代々受け継ぐ通称で、鬼平は家督相続以前は銕三郎(てつさぶろう)と言いました。青年時代は、放蕩無頼の風来坊だったようです。 父の長谷川宣雄(のぶたか)は、火付盗賊改方を経て京都西町奉行の役に付いていたのですが、死去しため平蔵は28歳で家督を継ぎました。 寛政の改革で人足寄場(犯罪者の更生施設)の建設を立案し、石川島人足寄場の設立などで功績を挙げました。そして1787年から8年の間、火付盗賊改方の長官を務めました。1795年、お役御免を申し出て認められた直後に死去。東京都新宿区須賀町の戒行寺に供養碑があります。 平蔵は、住居跡は都営地下鉄新宿線「菊川駅」A3出入り口の横です。墨田区教育委員会の高札が目印です。 なお、長谷川平蔵の住居跡に、数十年後遠山景元(遠山の金さん)が住んでいました。これはまったくの偶然です。
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東京都 墨田区菊川3丁目16−2
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