元禄16年(1703年)、総勢三百人の行列が成田から江戸まで一週間あまりをかけて本尊を富岡八幡宮の別当・永代寺の境内に運びました。成田山は江戸時代参詣希望者は多くいたのですが距離が遠く簡単に参詣できる場所ではありませんでした。 そこで、江戸庶民は、成田不動の尊像を一時深川の地に安置する成田山江戸出開帳が二ヶ月にわたって盛大に催されたのでした。五代将軍徳川網吉の母・桂昌院が、名高い成田不動尊を江戸にいながらに参詣したいと、時の高僧・隆光に頼み込んで実現したとも伝えられています。 この2ヶ月の催しが終わり、本尊明王が成田山へ返還されると、直ちに御本尊の御分霊を大本山から勧請して、「成田山御旅宿」を称して江戸に置くことになりました。これにより江戸庶民の参拝を容易にすることになったのです。これが、成田山深川不動堂の始まりです。成田不動に対する江戸での信仰熱は年々高まり、ますます深川は賑わうようになりました。 明治元年(1868年)の神仏分離の布告により、富岡八幡社内に不動が留まることが許されなくなると、深川の信徒講社らが大本山に働き掛け、旧来出開帳をしてきた特縁の地である深川富岡八幡神社の別当・永代寺の中にある吉祥院聖天堂に移転する事とになりました。明治2年に深川不動は現在の地に移転しました。明治11年には「成田山御旅宿」の宿号を廃して「成田不動堂」と改称し、明治14年に深川不動尊を安置する本堂が完成しました。 このよう経緯から、深川不動堂は正式には「別院」とは称さず「飛地境内仏堂」と言います。
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