地蔵堂に隣接した横十間川の大島橋が最初に架けられたのは、元禄13年(1700)す。最初の橋の位置は今より南の横十間川が小名木川に合流するところでした。橋は、小名木川に沿っていた行徳道をつなぐ役割を果たしていました。現在地に移されたのは、昭和2年(1927)7月です。 この付近は、かつて鋳物師の釜屋六右衛門・七衛門の工房があり、多くの名作が生み出されました。五百羅漢寺(大島4丁目付近)への参詣の道でもあり、釜屋堀子育地蔵堂には、「五百らかん道標」(文政12年〔1829〕)が残っています。小名木川(おなぎがわ)は、東京都江東区の北部を東西に横断し、隅田川と旧中川を結ぶ運河です。1590年頃、徳川家康は、塩の確保のため行徳塩田(現在の千葉県行徳)に目を付けました。しかし行徳から江戸湊(当時は日比谷入江付近)までの江戸湾北部は当時、砂州や浅瀬が広がり船がしばしば座礁するため、大きく沖合を迂回しました。そこで小名木四郎兵衛に命じて、行徳までの運河を開削させたのが始まりであす。運河の開削によって、安全に塩を運べるようになり、かつ経路が大幅に短縮されました。その後、塩以外の品物の運搬や、成田参詣客なども運ぶようになって、行き交う物量が増大しました。1629年、小名木川は江戸物流の重要河川と認識され、利根川東遷事業と併せて拡幅され、小名木川と旧中川、新川の合流地点には「中川船番所」が置かれました。
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