間宮林蔵(1780年ー1844年)安永9年(1780年)に茨城県伊奈町上平柳の農家に生れました。16歳の時、岡堰[おかぜき]で出張中の幕府普請役・下条吉之助に、その才能を認められ江戸に出て村上島之允に師事します。 20歳の時に村上島之允の従者として初めて蝦夷地に渡り、翌年、函館にて伊能忠敬と子弟の約を結びました。24歳以降、東蝦夷地・南千島の測量に従事し、26歳の時には天文地理御用掛として、蝦夷地日高のシツナイに勤務しました。翌年にはエトロフ島に渡り、沿岸実測、新道開拓に当たります。文化5年(1808年)29歳の時、第1回樺太[カラフト]探検を命じられ、翌年の第2回目の探検で海峡地帯を突破。「間宮海峡」を発見しました。伊能忠敬の死の翌年、40歳の時から蝦夷地内部の測量にかかり3年で完了しました。59歳の時に江戸で病の床についてしまい、6年後の天保15年(1844年)に65歳で江戸の自宅で病死しました。 墓所は江東区平野2-7-8 本立院墓地 住宅街のなかにぽつんとあるので、見つけにくいです。
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〒135-0023 東京都江東区平野2丁目7−8