洲崎神社(すさきじんじゃ)は、桂昌院(徳川五大将軍綱吉公の生母)が崇敬した江戸城中紅葉山の弁財天を、護持院(現護国寺)隆力の進言により元禄13(1700)当地に遷座して創建しました。当地が海岸に浮かぶ弁財天であったことから、文人墨客の参詣を集めていたといいます。 寛政3年(1791)に押し寄せた津波により、当地周辺は多数の死者行方不明者を出し、江戸幕府は当地を東北、平久橋の袂を西南とした一帯を買い上げ、居住禁止区域としました。そして、波除碑(津波警告の碑)を建立しました。波除碑は、東京都指定文化財となっています。波除碑(なみよけひ)は、東京都江東区にある自然災害伝承碑です。2か所に現存しています。東京都指定有形文化財に指定されています。 洲崎神社の境内にある洲崎神社碑と平久橋西詰のたもとにある平久橋碑の2基を総称して波除碑と称します。1794年(寛政6年)の建立時には海岸線に位置していました。経年劣化や関東大震災、また太平洋戦争による戦災で損傷し、破損により判読は困難です。 1791年(寛政3年)9月4日、深川一帯の高潮被害により多くの死者・行方不明者が出ました。そのため、江戸幕府は洲崎弁天から西側一帯の土地(約18000㎡)を買い上げ、家屋を建てることを禁止し空地としました。1794年(寛政6年)、高潮被害を後世に伝えるための石碑が建立されました。歌川広重の東都名所「洲崎弁財天境内全図・同海浜汐干之図」において神社と空地および波除碑が描かれています。 出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」 (https://www.ndl.go.jp/landmarks/)
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