子別れ地蔵 子別れ地蔵は享保12年(1727)に造立されたものです。子別れ地蔵は、戦災でかなり損傷していますがかろうじて形はとどめています。 江戸時代の風習で「逆縁」と呼ばれるものがありました。先立った子供を火葬場まで見送ってはならないというものです。当然骨を拾うことなど許されませんでした。そんな親が中原街道の斎場入口まで同行し、ここで子供の亡骸を見送ったその場所に建てられたたのがこの地蔵尊です。現在方形の台石と地蔵は並べて置かれていますが、本来は地蔵が台石の上に立っていたと考えられます。 子別れ地蔵の北西約300mに桐ヶ谷斎場があります。江戸時代、三代将軍家光の頃、荼毘(だび所を芝の三田からここに移したのが始まりです。400年近い歴史がある斎場です。江戸時代は土葬だろうと思われがちですが、都市部では場所が無いため火葬が一般的でした。
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