青木昆陽は、元禄16年(1698年)に江戸の生まれました。商人の子ではありましたが、幼いときより学問を志し、長じて幕府書物方になりました。このとき、昆陽を採用したのが、おなじみの大岡越前守忠相です。 当時、大商人による米相場の操作、度重なる飢饉が、民衆を苦しめた時代です。米問屋襲撃、農民一揆などの事件が頻発し、幕府の財政も傾いていました。このような時代に、昆陽は生きていたのです。 昆陽は、この世の中の窮状を少しでも変えようと、さつまいもの栽培を上申。これを受けて甘薯の栽培を命じたのが吉宗です。 このとき甘薯の試作地のひとつに選ばれたのが、いまの千葉市幕張です。甘薯が栽培できることを証明するために、わざわざこの砂地の痩せ地であった幕張が選ばれたのです。当時馬加村と呼ばれたこの幕張では、苦労の末、甘薯栽培を成功させます。馬加村の土地に、文字通り根づいた甘薯は、その後全国に広がり、飢饉に苦しむ農民たちを救っていきます。 昆陽没後10数年後の天明の飢饉が起きました。小氷河期とも呼ばれた全国規模の大飢饉でした。この大飢饉にもかかわらず、馬加村では一人の餓死者も出さなかったと、記録には残っています。 青木昆陽甘薯試作地(千葉市花見川区幕張町4-598-1:幕張駅のすぐ近くに記念碑があります)
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〒153-0064 東京都目黒区下目黒3丁目20 瀧泉寺境内墓地(飛地