徳川が帰依していた増上寺第三十六世祐天上人は、正徳4年(1714)増上寺を退隠しました。享保3年(1718)、弟子の祐海に「一寺を創営し、長時の念仏を修し、未来の衆生済度のために備えよ」と遺言しました。 当時、倹約令が発せられ、新寺建立禁止の世情でしたが、8代将軍吉宗公の許可を得て、善久院という寺に改めて祐天寺の名を付し建立されたものです。 境内には江戸時代の建物が残されています。 仁王門 5代将軍綱吉の養女竹姫が、祐天上人の遺言によって、享保20年(1735)に寄進して建立。正面の両脇間に仁王像が立ち、門上方蟇股部分には、各方位に合わせた十二支の動物の彫刻があります。(目黒区有形文化財) 阿弥陀堂 阿弥陀堂本尊阿弥陀如来は、寄木造り坐像。江戸時代の正統的な作風の像です。5代将軍綱吉の養女竹姫のご寄付によるもので、西方六阿弥陀の第6番に数えられています。 鐘楼 梵鐘と鐘楼は、6代将軍家宣の17回忌追善のために、享保14年(1729)、正室天英院が寄進。以来「時の鐘」として正午を知らせ、心に深く染み渡る音を響かせています。(紅葉の横に鐘楼の屋根が見えます)
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