海難かいなん事故じこにあった人々ひとびとを供養くようするため、安政あんせい2年ねん(1855年ねん)に建たてられました。江戸えど市し中ちゅうや神奈川かながわに及およぶ魚介ぎょかい業ぎょう者しゃをはじめ、町人ちょうにん、武士ぶし、役者やくしゃ等とう約やく300名めいの名なが刻きざまれ、東京とうきょう湾わん沿岸えんがんでも屈指くっしの規模きぼを持もつものです。今いまでは住宅じゅうたくや学校がっこうなどが建たち並ならぶ間まにあります。
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