大森貝墟の碑 アメリカ人動物学者エドワード・シルベスター・モースが明治10年に発見した。モースのもとで発掘にあたった佐々木忠次郎ら21人の学者発起人となり昭和5年に建てられました。大森貝塚は縄文後期の遺跡で日本の考古学の出発点として国の史跡に指定されています。現在は東海道線の敷設により分断されています。NTTのビルの細い道を線路に向かって降りると線路際に石碑があります。 モースは、明治10年6月-11月、11年4月-12年9月、15年6月-16年2月の計3回、日本に滞在しました。東京大学との契約は、明治10年7月から2年間、月給は350円(ちなみに日本人教授は100円)、初代の動物学の教授に就任しました。わずか2年の間に彼は、近代動物学への導入、東京大学生物学会(現日本動物学会)の創設、大森貝塚の発見・発掘で日本の考古学・人類学の幕を開き、東大に進言して日本最初の大学紀要を発刊させ、また、博物場を新設させました。また、モースが収集した陶器、民具、看板などは、世界的に有数のコレクションとして残り、関東大震災、第2次世界大戦などで焼失したりして日本に残っていないものを見ることができます。
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