新井宿薬師堂 新井宿と馬込村の一部を所領としていた旗本の木原氏が古寺を再興し菩提寺としたのがはじまりと伝えられています。当時は桃雲寺と名づけられていましたが明治初年に廃寺になりました。現在は薬師堂と桃雲寺再興碑、富士講碑が残るのみです。 桃雲寺再興碑は木原家5代当主の義永が江戸初期の寛文4(1664)に建立したものです。また隣にある富士講碑は天保3(1832)年に新井宿村の富士講中が造立したものです。 正面に富士山の尊称である「仙元大菩薩」と行衣を着た猿が刻まれています。 大田区説明 新井宿薬師堂の解体に伴い、平成30年7月31日付で所在が以下の場所に変更されました。 大田区山王3丁目26番8号西側 根岸地蔵 富士講碑 食行身禄(じきぎょうみろく)の没後百年を記念して新井宿村の富士講の人々が造立しました。正面に富士山尊称の「仙元大菩薩」、角柱の下には亀が彫りこまれ、上の角柱の株には二猿が陽刻されています。食行身禄は富士講中興の祖と言われる人物です。富士講は、新井宿村をはじめ大森近辺では江戸時代末期から明治にかけて盛んでした。この富士講碑は天保3年(1832)3月に造立されたものです。石造は秀逸で、石工名は池上在住榎本甚五郎、藤原栄▢と刻まれています。 桃雲寺再興碑 桃雲寺再興祈念碑で寛文4年(1664)11月の造立されたものです。桃雲寺はかつて薬師堂のあったところにあった曹洞宗寺院でしたが、明治13年に廃寺となりました。戦後薬師堂だけが再建されたという経緯があります。太田区指定文化財に指定されています。
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