日蓮宗のお寺で法光山と言います。正応4(1291)年、地元の増田三郎右衛門が建立し、日法上人が開基したと伝えられています。本堂左の墓地の一番奥に都の旧跡に指定「新井宿義民六人衆の墓」があります。 境内 新井宿義民六人衆の墓 江戸時代前期の延宝4年(1676)に過酷な領主の年貢の収奪に耐えかねた新井宿村の農民代表6人が幕府(将軍徳川家綱)に直訴を決行しようとしたが、事前に領主に見つかり捕らえられ現在の内神田である神田橋門外の木原内匠邸で斬首されました。この話は村人に語り継がれ、縁故筋にあたる間宮藤八郎が両親の墓を作ると申告して延宝8年(1679)正月にこの墓を建てました(正月なので西暦は1年少ない)。正面には両親の名、裏面に六義民の名が刻まれています。 義民六人衆の名前(俗名)は、間宮新五郎、間宮太郎兵衛、酒井権左衛門、鈴木大炊之助、平林十郎左衛門、酒井善四郎です。農民ですが姓があります。 板碑型の供養塔 正面中央の南無妙法蓮華経と記されています。延宝8年(1680)11月に造立されたものです。義民六人衆との関係は不明です。
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