福昌寺は、経堂の駅前にあります。曹洞宗のお寺で経堂山と言います。江戸初期に松原土佐守弥右衛門が屋敷内に常徳院の玄甫和尚を迎えて創建したものです。松原氏は徳川幕府の御殿医として中国から迎えられ日本に帰化した一族です。 多くの医学書を収蔵する書庫を建てたところ地元の人はこれを経本と勘違いし経堂と呼ぶようになりました。境内に元禄4(1691)年の菅刈庚申塔、慶応3(1867)年馬頭坐像などがあります。本堂右手の墓地には松原氏一族の墓が数多くあります。 境内 ① 板碑型供養塔 板碑型の供養塔は、万治3年(1660)2月に造立された江戸時代初期のものです。「南無阿弥陀仏」「奉納念仏供養 為即身菩提也」と記されています。 ② 笠付角柱型庚申塔 笠付角柱型庚申塔は、元禄4年(1691)8月に造立されたものです。庚申塔は青面金剛像のみの図柄です。庚申塔の左右には多くの願主名・経堂在家村が記されています。台石には「菅刈庚申塔」と記されていますが後に造られたものと考えられます。 ③ 馬頭坐像 馬頭坐像は慶応3(1867)年に造立されたものです。
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〒156-0052 東京都世田谷区経堂1丁目22−1