「円泉寺」山門に向かって左(西側)の角地に世田谷区教育委員会の案内板があります。この掲示板を見過ごすとまず見つからないほど狭い路地を入ったところです。 「林芙美子旧居」太子堂三丁目29番地「此の路地奥の二軒長屋は林芙美子不遇な時代の寓居です。その一軒には壺井繁治、栄夫婦が住み、若い頃の平林たい子も度々訪れました……。」と記されています。 林芙美子がここに居住していたのは大正14年から15年にかけてです。彼女が上京して赤貧にあえいでいた時代で、彼女の出世作「放浪記」にも太子堂の生活が書かれています。