慈眼寺(じげんじじげんじは、真言しんごん宗しゅう智山ちざん派はのお寺てらです。徳治とくじ元年がんねん(1306)法印ほういん定てい音おんが小堂しょうどうを建たてたのを始はじまりとし、天文てんもん2年ねん(1533)長崎ながさき四郎しろう左さ衝しょう門もんが、この小堂しょうどうを崖がけ上じょうの当地とうちに移うつし真言しんごん宗しゅう慈眼寺じげんじと称ょうしました。 大山道だいせんみち(矢倉沢やぐらざわ往還おうかん)に瀬田せた玉川たまがわ神社じんじゃと共ともに面めんしていて、江戸えど時代じだい、二に子しの渡わたしで多摩たま川かわを渡わたるにあたり瀬田せたの延命えんめい地蔵じぞう尊そんから、慈眼寺じげんじルートと行善寺ぎょうぜんじルートという二ふたつの道みちに分わかれていました。西側にしがわの慈眼寺じげんじルートの目標もくひょうとなっていました。
MAP 〒158-0095 東京とうきょう都と世田谷せたがや区く瀬田せた4丁目ちょうめ10−3