駒留八幡神社は、徳治3年(1308)当地の領主であった北条左近太郎入道成願が、八幡大神を勧請したことにはじまります。この時、成願は自分の乗った馬が留まったところに社殿を造営したことから「駒留八幡」と称するようになったと伝えられています。御尊像の背部に「最明寺時頼公本尊 経塚駒留八幡宮北条左近太郎入道成願奉安鎮所 徳治三年戊申年十月廿三日」と記されています。祭神は天照大神、応神天皇です。 永禄年間(1558~70)世田谷城主の吉良頼康の側室・常盤は讒言により不義の疑いを受け、子どもを身籠もったまま自害しました。頼康は死産した子どもを駒留八幡宮に祀り、若宮八幡と称しました。また、常盤を弁財天として厳島神社に祀ったとされています。 常盤姫伝説というのは現在ではほぼ創作話だろうということになっています。しかし、何百年もの間土地の人々が信じてきた物語です。常盤の身体に身籠っていた胎児の霊を吉良氏がこの神社に祀ったことから、若宮八幡とも呼ばれます。 境内の奥には厳島神社の社があり、ここに常盤弁天が祀られています。その傍には常盤橋と彫られた橋の欄干が置かれています。 明治5年(1872)村社に列格、同40年(1907)社号を駒留八幡宮と改称。同42年(1079)三軒茶屋の天祖神社を合祀しました。厳島神社の側に天和3(1683)年の江戸初期の庚申塔が残されています。 現在の神社の住所は上馬です。上馬、下馬というのは省略された地名になります。 江戸時代の初め頃は馬引沢村という一つの村でした。天正18年(1590)に徳川家康が江戸入城すると村は徳川氏の直轄地となりました。後に井伊家・大久保家が拝領しました。寛永年間(1624~1643)に村は上馬引沢村と下馬引沢村に分割されました。さらに上馬引沢村から中馬引沢村が分かれました。江戸時代の馬引沢村は三軒茶屋から駒沢までの広い村でした。 境内 ① 角柱型庚申塔 角柱型庚申塔は、江戸時代初期の天和3年(1683)に造立されたものです。正面に青面金剛像と二猿、右側面と左側面にそれぞれ一猿という珍しい庚申塔です。
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〒154-0011 東京都世田谷区上馬5丁目35−3