世田谷せたがや八幡はちまん宮ぐうは、源みなもとの義家よしいえが寛治かんじ5年ねん(1091年ねん)奥州おうしゅう征伐せいばつの戦勝せんしょう御お礼れいに宇佐うさ八幡はちまん宮ぐうより分霊ぶんれいを勧請かんじょうしたと伝つたえられています。江戸えど時代じだいには徳川とくがわ幕府ばくふより11石こくの朱印しゅいん状じょうを拝領はいりょう、世田谷せたがや村むらの鎮守ちんじゅとなっていました。 実際じっさいは吉良きら氏し7代だい頼康よりやすが天文てんもん15(1546)年ねんに鎌倉かまくらの鶴岡つるおか八幡はちまん宮ぐうを招まねいたのが始はじまりのようです。 江戸えど三さん大だい相撲すもうのひとつとして奉納ほうのう相撲すもうが有名ゆうめいだったため境内けいだいに9個この力石りきいしが残のこされています。 境内けいだい ① 貞享じょうきょう3(1686)年ねんの水鉢すいばち ② 文政ぶんせい13(1830)年ねんの銘めいの力石りきいし
MAP 〒156-0051 東京とうきょう都と世田谷せたがや区く宮坂みやさか1丁目ちょうめ26−2