安政の大獄を行った井伊直弼の菩提寺が世田谷区の豪徳寺にあり、この事件で打ち首になった吉田松陰を祭る松陰神社が同じ世田谷区内(若林4-35-1)の目と鼻の先にありあります。 吉田松陰は長門国萩松本村(現在の山口県萩市)に萩藩士杉百合之助の次男としてうまれ、幼くして山鹿流兵学師範である叔父・吉田大助の吉田家(家禄57石)を相続しました。いわゆる勉学の天才でした。 1858年(安政5)幕府が勅許なく日米修好通商条約を結ぶと松陰は激しくこれを非難、老中の間部詮勝の暗殺を企てたのです。長州藩は幕府への対応上松陰を投獄しました。そして安政の大獄が始まると1859年(安政6)幕府は長州藩に松陰の江戸送致を命令しました。松陰は老中暗殺計画を自供して自らの思想を語り、同年、江戸伝馬町の獄において斬首の刑に処されたのでした、享年29才でした。【松下村塾(しょうかそんじゅく)】 吉田松陰が開いた私塾。学問や講義の形式にこだわらず、時勢(じせいを論じ合ったり、書を読み合ったりしました。「学問をするのに大切なのものは志です。志のない学問など、何にもなりません。」と説いてます。この塾からは、高杉晋作、久坂玄瑞、、山県有朋、伊藤博文、木戸孝允、井上馨、高杉晋作など明治維新で活躍する人々が現れました。 刑死した松陰は回向院に埋葬されましたが、四年後の文久三年(1863)、 高杉晋作、伊藤博文等によって世田谷若林の地に改葬されました。 現在松陰神社として世田谷区民に親しまれています。
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〒154-0023 東京都世田谷区若林4丁目35−1