稲荷の南50mの榎坂には大東亜戦争前まで、「お万榎」と呼ばれる榎の巨木がありました。榎は江戸時代初期の大風により折られ、根幹が朽ちて洞穴を開けた後、不思議にも2本の若芽が穴の左右から生じて伸長、人間が逆立ちしたような形となったと伝えられています。この巨木は上部が二股に分かれており人間が逆立ちした形で、股の部分が空洞になっていたことから女陰に見られ、性的信仰・性器崇拝の対象となって内藤新宿周辺の遊女や女将などが多く拝みにきたと伝えられています。空洞には稲荷が祀られ、「榎稲荷」として祀られました。「お万榎」の名は、仙寿院を創建した徳川頼宣(紀州徳川家初代)の生母・お万の方がこの木を信仰したことによります。お万の方は、榎稲荷の北隣の瑞円寺住職の叔母でもあったことから、霊木されたこの榎を度々訪れていたと伝えられています。 榎坂にあった榎と榎稲荷は1945年(昭和20年)5月、アメリカ軍による空襲で被災し焼失しました。 戦後、榎稲荷は瑞円寺裏に移築・再建されました。榎稲荷は、商売繁盛、縁結び、金縁、子授かりや子供の病気平癒などの信仰を集めています。現在、稲荷の傍らには、お万榎と榎稲荷の縁起と由緒が書かれた石碑があるが、これは瑞円寺と仙寿院によって1950年(昭和25年)5月に建てられたものです。
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