髙德寺(こうとくじ)は、真宗大谷派のお寺です。 1201年(建仁元年)、了智(俗名:佐々木高綱)によって開山されました。元々は信濃国筑摩郡栗林郷(現・長野県松本市島立)に位置し、「正行寺」という名称でした。その後、上野国新田郡荒居(現・群馬県太田市新井町)に移り、「高徳寺」に改称しました。続いて下総国、江戸を転々とし、最終的に同宗派の報恩寺近くに落ち着つきました。なお当初の所在地には、今でも正行寺が現存していいます。1908年(明治41年)に現在地に移転しました。 墓所 新井白石(1657-1725:明暦3年-享保10年) 父は久留里藩(二万二千石)の目付役新井正済です。白石は、明暦大火の直後、江戸神田の藩主土屋利直の仮屋で生れました。土屋家に仕え、その後、利直が亡くなり子の頼直が継ぐと父子ともに辞職、江戸に出て浪人となりました。 30歳のころ木下順庵に朱子学を学び、順庵の推挙で1693年(元禄6)甲府藩主徳川綱豊に仕えました。1709年(宝永6)綱豊が六代将軍家宣になり、側用人、間部詮房とともに幕政を補佐。武蔵国埼玉郡に五百石を賜り、のち相摸国に五百石を加贈されます。綱吉の時代に疲弊した経済を立て直すためのブレーンとして活躍します。 生類憐の令など将軍綱吉の時の弊政の廃止、朝鮮使節の簡略化、幣制の改革など多方面の制度改革を執行しました。正徳の治と呼ばれています。 高徳寺には、夫人およびその一族の墓があります。
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