中野区弥生町は、古くは本郷村、青梅街道と甲州街道の間の農村で、神田川流域の豊かな田畑の村でした。本郷は古来、地域の中心地に付けられる地名で、江戸時代以前は現在の東京西部の中心的な地でした。 子育地蔵は、寛政8年(1796)に造立されたものです。旧本郷村の念仏講の人々が、子供と旅人の安全を祈願して造立し、台座には「三界万霊本郷村念仏講中 右ぞうしき道 左はたがや道」と記されています。向台子育地蔵尊のある追分は左(南)へ行くと幡ヶ谷村、右(西)へ行くと雑色村でした。
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〒164-0013 東京都中野区弥生町1丁目43−20