中野区本町4丁目38番の鍋横通り沿いの歩道にあります。この石碑は浅草の住人橋本権助の発願により堀之内妙法寺への参詣道に道標として享保三年(1718)年に建てられたものです。 妙法寺は、戸中期以降、日蓮信仰がしだいに隆盛をきわめてきて、池上本門寺と深い関係にあったため人々の参詣が多くなっていきました。このため、江戸市内から妙法寺への道すじに道標がたてられました。妙法寺への参道は、本町1丁目から青梅街道を外れて、この四つ角のところへ出る道が利用されていたようです。この鍋屋横丁からの道が整備され、主要な参詣道になったことがうかがわれます。 なおこのお題目石のある鍋屋横丁は、妙法寺への参詣道として江戸後期ににぎわったところです。淀橋から青梅街道をまっすぐ来て左に折れるこの参詣道の角に「鍋屋」という茶屋があり、大変繁盛し、また梅屋敷としても有名であったことから、鍋屋横丁と呼ばれるようになりました。
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〒164-0012 東京都中野区本町4丁目38−18