江戸えど時代じだい、富士ふじ講こうや大山だいせん講こうという山岳さんがく信仰しんこうが盛さかんでした。江戸えど後期こうきになると人々ひとびとは豊ゆたかになり観光かんこうへ変かわっていきました。大山だいせんは雨乞あまごいの山やまとして信仰しんこうされました。水源すいげんの少すくない武蔵野むさしの台地だいちの人々ひとびとにとって大切たいせつな信仰しんこうだったと考かんがえられます。 不動堂ふどうどうの創建そうけんは天保てんぽう年間ねんかん(1830~1844)です。当初とうしょの場所ばしょは少すこし東ひがしの四よんつ辻つじにあったと思おもわれます。堂宇どううの脇わきに四よんつ辻つじに建たっていたと思おもわれる道標どうひょうがあります。正面しょうめんは「大山だいせん道東どうとう江戸えど」、右面みぎめんは「北きた 中野なかの 堀之内ほりのうち 道どう」、左ひだり面めんは「南みなみ 大宮おおみや八幡はちまん 道どう」と記しるされています。
MAP 〒164-0013 東京とうきょう都と中野なかの区く弥生町やよいちょう4丁目ちょうめ3−13