功雲院は、曹洞宗のお寺です。元高輪泉岳寺の塔中です。開基は京都福知山藩祖朽木河内守元綱の息女で堀采女正直魔の正室・功雲院殿一鑑妙純大姉です。慶長十八年(1613)、開闢の組一松宗全和尚を迎えて、泉岳寺境内に人命救助の鳩供養のため観音堂を建立したのが始まりです。その後泉岳寺第二十三世住職心光海印大和尚が、開山(第一世) となり、泉岳寺の塔中となりました。泉岳寺には歴代の福知山藩主・福島二本松藩主等の墓があるため、その家臣の墓が現在も当院に残っています。 明治四十三年( 1910)に墓地を現在の地に移転ししました。 鳩寺と呼ばれる由来 堀家に嫁いだ開基さまが、十八歳の時病気になり、実家の朽木家に帰り養生中に、鳩が「この薬を煎じてお茶のかわりに飲めば治る」との夢を三晩続けて見ました。この事を侍医に話したところ、それは大変良い薬(三枝九葉草と言われている)であるから飲みなさいといわれ毎日続けているうちに、いつとはなしに全快しました。 四十二歳の時朽木家の菩提寺泉岳寺内に観音堂を建立し、有髪のまま鳩の供養をし、疲れた時は実家へ帰り養生し、元気になれば観音堂へ戻り余生を過し、八十二歳でなくなりました。このことから誰れとはなく功雲院を鳩寺と呼ぶようになりました。「朽木元綱」は、なろう系小説で人気の「淡海乃海 水面が揺れる時」の主人公のモデルです。
MAP