お茶あがれ地蔵の由来はこの辺りの三軒しか農家がないので三家というところの百姓勘右衛門が、恋人の板橋の飯盛り女おせんの身請けの金の工面のために旅立って帰らず、おせんは待つうちに肺結核に罹り、楼で厄介者扱いされていました。おせんは楼を抜け、勘右衛門の家に向かう途中、行き倒れて死んでしまいました。真冬で人も通らず遺骸は発見されぬまま朽ちていった。春となり人が通うようになったある夜、そこを通った旅人がおせんの亡霊に「お茶あがれー」と迫られて仰天、卒倒してしまった。翌朝村人に助けられた旅人が女の幽霊に出会った話をすると、その後も同じように女の幽霊に出会う旅人が何人も出るようになった。そこで村人がその幽霊の出る場所を調べてみると、おせんの亡骸が見つかりました。遺骨をそこに埋め、庚申の供養塔を建て、重林寺の僧を呼んで法要をし、手厚く葬りました。以来幽霊はあらわれなくなりました。 奇しくもこの供養塔を守ることになったのは勘右衛門の家の者だが、勘右衛門は旅に出たきり二度と戻らなかったとのことです。 地蔵の造立年は不明ですが造形は秀逸です。。
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