善養寺(ぜんようじ)は、天台宗のお寺です。天長年間(824年-834年)、慈覚大師円仁によって開山されたといわれています。江戸時代は、今の上野駅・鶯谷駅間の山手線等の線路上に位置していました。鉄道建設のために1912年(明治45年)に現在地に移転しました。本堂には、閻魔大王が鎮座しています。かつては太宗寺や華徳院とともに「江戸三閻魔」として知られ、縁日には多くの人で賑わったと伝えられています。。 墓所 尾形乾山(1663年~1743年)は、寛文3年(1663年)京都の富裕な呉服商尾形宗謙(おがたそうけん)の三男として生まれました。兄は画家の光琳です。二人の性格は対象的で、光琳が派手好みであったのに対し乾山は内省的、隠遁的な性格の持主であったといわれています。 野々村仁清に陶芸を学んだ乾山は、元禄12年(1699年)37歳のとき京都市の鳴滝に開窯しました。そして正徳2年(1712年)50歳の乾山は、京市内の二条丁子屋町に移住し、多くの作品を手がけ「乾山焼」として世にもてはやされました。鳴滝時代の末期からこの丁子屋町時代にかけて兄の光琳は絵付で乾山を助け、兄弟合作の作品が数多く残されています。享保16年(1731年)69歳の頃に江戸に下り寛永寺領入谷に窯を築いて晩年を送りました。そして81歳で没するまで江戸に在住し陶器や絵画の制作に手腕を発揮しました。
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