延暦えんりゃく3年ねん(784)に征夷せいい大将軍たいしょうぐんの坂上さかがみ田村麻呂たむらまろが東夷とうい征伐せいばつの折おり、この地ちに陣じんを取とり、八幡やわた三さん神しんを勧請かんじょうして武運ぶうん長久ちょうきゅうを祈願きがんしました。その後ご、源頼光みなみとのよりみつが社殿しゃでんを再興さいこう、源みなもとの頼政よりまさが改修かいしゅう、太田おおた道灌どうかんの父ちち・資清すけきよが社領しゃりょうとして土地とちを寄進きしんし、道灌どうかんが社殿しゃでんを文明ぶんめい元年がんねん(1469)に再興さいこうしたと伝つたえられています。 祭神さいじんは、品陀和気ほんだわけの命めい、帯おび中津なかつ日子ひこ命めい、息長おきなが帯たい比売命ひめのみことです。
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