板橋刑場は、江戸時代末期に現在の東京都板橋区板橋および北区滝野川付近に一時的に存在した刑場です。板橋の刑場は明治初めまでありました。 この刑場では、慶応四年(1868年)四月三日流山で捕えられた新撰組局長大久保大和(近藤勇)が板橋宿の官軍本陣(平尾脇本陣豊田家)に送られ、同25日に斬首されました。 刑場に処刑日付きの墓が建てられていましたが、明治8年永倉新八が、近藤と副長の土方歳三の名を並べた供養塔をその横に造立しました。しかし大正14年中山道の拡張で撤去され現在のJR板橋駅東口(北区滝野川)に移され、今もここに祀られています。近藤勇の遺体の墓は三鷹市大沢の竜源寺にあります。親族が板橋刑場から掘り起こして運んだとのことです。このため首のない近藤の胴体を葬っています。なお首塚は岡崎市本宿町寺山の法蔵寺にあります。
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〒114-0023 東京都北区滝野川7丁目8−10