旧川越街道沿いの豊敬稲荷神社より少し南(板橋方面)に進み、右手の細い路地を入り突き当たりを左に行ったところにあります。 真言宗のお寺で補蛇落山と言います。覚雲上人(慶安4(1651)年没)の開山とされていますので江戸初期には存在したお寺です。 お堂は普通の家です。狭い境内に庚申供養塔が3基あります。角柱型の文字庚申塔は元禄10(1697)年のもので、青面金剛像庚申塔は正徳3(1697)年、駒形のものは元文5(1740)年の造立です。 ① 笠付角柱型庚申塔2基 左 庚申塔は、正徳3年(1713)2月に造立されたものです。庚申塔は、日月、青面金剛像、二鶏、邪鬼、三猿の図柄です。「武刕豊嶋郡上板橋廿余人」と記されています。 右 庚申塔は、禄10年(1697)12月に造立されたものです。武州豊嶋郡上板橋村結衆と記されています。 ② 駒形庚申塔 この庚申塔は、元文5年(1740)10月に造立されたものです。庚申塔は、日月、青面金剛像、邪鬼、三猿の図柄です。武刕豊嶌郡上板橋村海老山」と記されています。 ③ 地蔵菩薩立像 右から3体は六地蔵のうちの三基と思われます。 右 享保7年(1722)2月に造立されたものです。「地蔵講中百余人」と記されています。 右2番目 正徳3年(1713)2月に造立されたものです。「武州豊嶋郡上板橋 講中九十余人敬白」と記されています。 右3番目 享保3年(1718)3月に造立されたものです。「武州豊嶋郡上板橋講中九十余人敬白」と記されています。 左 個人供養の地蔵菩薩立像と思われます。台石の右に寛永20年(1643)6月、左に慶安3年(1650)9月と記されています。正面には二人分の戒名があるので、それぞれが亡くなった年と思われます。
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