昭和しょうわ38年ねん(1963)に社殿しゃでんを改築かいちくした際さいに旧きゅう社殿しゃでんから神社じんじゃの由緒ゆいしょ等とうを記るした巻物まきもの『天神てんじん宮ぐう紀き』が発見はっけんされました。この『天神てんじん宮ぐう紀き』によると、994年ねん(正暦しょうりゃく5年ねん)に疫病やくびょうが流行りゅうこうしました。梅うめの古木こぼくに里さと人徳じんとく麿まろが病魔びょうま退散たいさんを祈いのったところ霊剣れいけんがありました。そこで、長徳ちょうとく元年がんねん(995)、梅うめに縁えんがある菅原すがわら道真みちざね公こうを祀まつる北野きたの天満てんま宮ぐうを勧請かんじょうしたのが始はじまりとのことです。 菅原すがわら道真みちざねを祀まつっていることから、江戸えど時代じだいは「天神社てんじんしゃ」と呼よばれていました。天神社てんじんしゃは、徳丸とくまる本村ほんそんの鎮守ちんじゅでした。明治めいじ6年ねん(1873)に「北野きたの神社じんじゃ」に改称かいしょうしました。
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