広徳寺(こうとくじ) は、臨済宗大徳寺派のお寺です。元亀・天正(1570~1592)、関東一円に勢力を扶植していた北条氏当主・北条氏政の三男で、岩槻城主であった太田源五郎が小田原に明叟和尚を招き、早雲寺の子院として開山しました。天正18年(1590年)に豊臣秀吉の遠征により小田原城は開城、北条氏が滅亡した際に広徳寺も炎上しました。徳川家康は、天正19年(1591年)に広徳寺の2世となる希叟和尚を招き、江戸の神田に広徳寺を再興しました。そして寛永12年(1635年)には下谷に移り、加賀前田氏をはじめ、九州の立花氏、織田氏など多くの大名が檀家とする大寺院となりました。大正12年(1923年)の関東大震災により寺は焼失しました。その後昭和46年(1971年)には台東区役所の拡張計画に応じ練馬に移転しました。墓地には、織田信長の次男、織田信雄 (安土桃山期から江戸初期の大名)柳生宗矩(安土桃山期から江戸初期の大和柳生藩主・剣術家・徳川将軍家の剣術師範)柳生宗矩の息子の柳生十兵衛三厳(江戸時代の剣豪で、旗本。大和柳生藩第2代藩主)柳生宗矩の三男で柳生三厳の弟、柳生宗冬(大和柳生藩主。剣術家で第4代将軍徳川家綱の剣術の兵法師範)等の墓があります。
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〒176-0002 東京都練馬区桜台6丁目20−19