清性寺阿弥陀堂 清性寺は、明治時代に廃寺になりました。真言宗のお寺です。清性寺は江戸時代の初期金乗院末寺として創建されたと「新編武蔵風土記稿」に記録されています。 清性寺は、明治時代に廃寺になり金乗院に統合されました。清性寺の小堂と墓地だけが阿弥陀堂として残こりました。阿弥陀堂の凡鐘には「清性寺持ち」と刻まれており、歴史的な流れからも寺と阿弥陀堂は一体だったようです。 また阿弥陀堂の墓地には最も古いもので寛文二年の千川家の墓石があります。 千川家の墓 千川上水は、本郷、下谷、浅草方面の飲料水として元禄9年(1696年)に玉川上水から分水された水道です。設計者は河村瑞軒(かわむらずいけん 1617~99年)と伝えられ、仙川村出身と伝えられる徳兵衛、太兵衛の2人が工事を請け負いました。 分水口から巣鴨までの費用は、1千340両余りを要し、幕府が支出したのはこのうち860両余りに過ぎませんでした。そのため、2人は私費を投じて工事を成し遂げました。徳兵衛、太兵衛両人は、その功によって、千川の姓と帯刀を許され、その子孫は代々千川上水の取締役を務めました。 この千川家は、3代源蔵の時に下練馬村(現在の北町2丁目)に移り住みました。阿弥陀堂墓地内には、3代源蔵(明和4年没)、4代善蔵(天保5年没)、5代仙輔(天保8年没)、6代民蔵(天保11年没)、7代右保(明治27年没)などの墓石が建っています。
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〒179-0081 東京都練馬区北町2丁目18−1